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〜天明の義民 徳永徳衛門〜

江戸時代は農民から過酷な年貢をとりたてていました。特に福山阿部藩は老中等を立てていたことからより重税に苦しい生活を強いられ藩の政治に抵抗した。福山藩でも大きな百姓一揆は5回あり、天明6年(1786)の「天明の一揆」は数万人が蜂起し徳政令を勝ち取った。その指導者 徳永徳衛門は処刑により命を落とし、この宝泉寺(福山市神辺町徳田)に眠る。(参考:「天明の篝火」藤井登美子著) 福山藩では過酷な年貢の取り立てなどに抵抗する百姓一揆が1717年以降、続発した。数万人が蜂起し徳政令を勝ち取った「天明の一揆」(1786〜87年)を指導した徳永徳右衛門や、他の一揆を導いた北川六右衛門、渡部好右衛門、小林嘉忠治の4人は神辺地区出身。義民だが、いずれも処刑や暗殺で命を落としたという。

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